食品工場が震災に遭った後に点検しないといけないポイント
東日本大震災から9年が過ぎました。私はその日、台湾に遊びに行っていたのですが、全然知らない台湾人から街で声をかけられ、元気づけられたりしていました。
前職の工場も被災
前職は神戸の会社でした。私は阪神淡路大震災2年後の入社でしたが、公園でテント生活の人もいらっしゃいましたし、毎日車窓から仮設住宅を見ながら通勤していました。
24時間操業なので震災当時も工場は動いていました。最初は何が起こったかわからなかったものの、道が寸断されていて出荷できないらしいことがわかり、地元の自治会を通じて商品を配布したと聞いています。
インフラが止まってしまい、しばらくの間製造ができませんでした。その間供給できないので、スーパーさんの棚は他社に切り替わってしまいました。この時の経験があったので、同業他社が被災したり工場で火災に遭ったりしたときなどは「スーパーさんから要望があったら供給するが、これに乗じてシェア取りに行こうとか行儀の悪いことをしてはいけない。」と毎回経営者から営業に指示が出ていました。
新工場は1990年に完成していたので、建物自体は震度6にも耐えることができました。機能はほぼ新工場に移転していましたが、古い工場はこの揺れに耐えられなかったそうです。ただ幸運なことに従業員の被害はゼロでした。
見た目は大丈夫でも・・・
従業員の全員無事が確認され、インフラも回復し、工場再開数年後に入社しました。その頃は総合衛生管理製造過程の承認を取ろうと取り組んでいるときでした。保健所の方が工場を見に来てくださるのですが、以前は見かけなかったゴキブリが工場でよく見かけるようになりました。防虫業者になんとかしてくれと言うと薬を撒いてくれますが、しばらくすると別の場所でよく見かけるようになります。いくら薬を撒いても全然減りません。後からわかったことですが、埋め立て地なので地盤沈下 → 地震で床下の配管が破損 → 排水系をたどってゴキブリが床下に侵入 → 破損した配管から漏れたエサで大繁殖、と言うことが起こっていたのです。
みなさまの工場でも地震の後は床下にご注意ください。数年経ってから虫の大発生が起きることがあります。くわしくは「実践版 使える HACCP」に書いておりますのでぜひご覧くださいませ。
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